スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

白川郷の巡り方

個人で白川郷を巡るルートをご紹介します。
白川郷は、遠く白山を望み、荘川の畔にたたずむ岐阜県の村落です。江戸時代から受け継がれてきた合掌造りの集落は、1976(昭和51)年に国の重要建造物群保存地区に選定された後、1995(平成7)年にはユネスコの世界文化遺産に登録されました。 ▶️English page

1 白川郷の巡り方
2 白川郷へのアクセス
3 合掌の宿・孫右エ門
4 冬は民宿、春から夏はそば処・山本屋
5 白川郷最大の合掌造り民家・和田家住宅


1 白川郷の巡り方
白川郷へのゲートウェイはバスターミナルのあるせせらぎ公園です。ここでバスを降りて庄川にかかる橋を渡り、集落に入ります。メインの通りは川と平行に集落を貫いており、道を挟んで東側(山側)にお店や古民家がたくさんあります。西側(川側)は比較的人が少なくて、のんびりした雰囲気です。

map:Shirakawa-go

2 白川郷へのアクセス
名古屋から岐阜バスで2時間50分(予約制)
高山から濃飛バスで50分
高岡から加越能バスで2時間
金沢から北陸鉄道/濃飛バスで1時間15分(予約制)



タイトルをクリックすると観光スポットのHPを見ることができます。

3 合掌の宿・孫右エ門

孫右エ門は、白川郷の西側にある川沿いの民宿です。合掌造りの建物に泊まり、1泊2食付きで一人10000円ちょっと。お風呂とトイレは共同ですが、宿泊者が10人いても混雑することなく、快適に過ごすことができました。
玄関右手には木の鳴りものがかかっていて、客はそれを叩いて来訪を知らせます。案内に従って入ると、すぐに囲炉裏のある広間があります。ここで、朝晩の食事をいただきました。その奥に小さく仕切られた個室が並んでいます。客室はシンプルですが、掃除が行き届いていて清潔でした。私たちの部屋には縁側があって、小さな丸テーブルと藁の座布団が置いてありました。夕方や朝に、ここで外の風景を眺めるのは、とても気持ちがいいものでした。



ところで孫右エ門という名称についてですが、この家の当主が代々継承してきた名前だそうです。しかし、現当主の3代前を最後に、名前の継承は中止されました。時代とともに、人々の暮らしは少しずつ変化していくものなのでしょう。
さて、高速道路の開通後、白川郷への交通の便は格段によくなりました。名古屋、金沢、高山などから、毎日定期バスが出ており、人口1700人の村に、年間100万人を越える観光客が訪れます。多くの訪問者は数時間の滞在後に、別の目的地へと去って行きます。しかし、ここには今も、伝統的な日本の暮らしが息づいています。夜明けとともに起きて田畑で働き、囲炉裏の火で煮炊きを行う暮らし。夜は輪番が、火の用心の拍子木を叩いて村内を巡回します。そして溜め息がこぼれるほど美しい満天の星空!白川郷を訪れるなら、ぜひ宿泊することをお勧めします。白川郷の暮らしの一片に触れれば、きっと旅の味わいはいっそう深まることでしょう。
宿泊予約(TEL: 05769-6-1167, FAX: 05769-6-1851)

4 冬は民宿、春から夏はそば処・山本屋



合掌造りの集落で知られる飛騨白川郷。村の東側中心部にある山本屋は、合掌造りのお店です。お昼過ぎに白川郷に到着した私たちは、とても雰囲気のいいこのお店を、偶然に見つけました。20食限定のレディースセットは、素材にこだわったお蕎麦と、少し固めの豆腐の上に甘辛く煮た飛騨牛ののった小鉢、きな粉をまぶしたわらび餅が3個ついています。ぶっかけは3種類ありましたが、梅干しとごまを選びました。のどごしのいいやや細めの蕎麦。すき焼き風に煮た飛騨牛は、柔らかくて美味でした。
4月中旬から11月下旬まではお食事処として、ランチ営業(11時から14時)のお蕎麦屋さん、冬の間は民宿となります。宿泊の予約は、電話、インターネットなどで11月から受付けているそうです。予約電話:05769-6-1064

5 白川郷最大の合掌造り民家・和田家住宅

和田家は、代々、庄屋や番所役人などを務めた白川郷の有力者でした。その和田家の家屋、板蔵・稲架小屋などが、一部公開されており、江戸時代の有力村民の暮らしを垣間みることができます。
1573(天正元)年以来、和田家の当主は与右衛門という名前を継承して、家系を守ってきました。耕作できる土地が乏しい白川郷では、自給自足の暮らしの中で、現金収入の源として養蚕を行ってきました。養蚕には多くの人手が必要です。白川郷では分家を許さず、長男だけが結婚して家を継承し、次男以下の男子は、女性のもとへ通う妻問い婚を行いました。子どもができた場合は、将来の働き手として女性の家で大切に育てられました。
また、周囲から隔絶された白川郷では、黒色火薬の原料となる煙硝(焔硝)の製造が秘密裡に行われていました。和田家では、各家の床下で数年かけて作った煙硝を、取りまとめて取引する役割を担っていました。
合掌造りの家は、非常に合理的で機能的です。床下で煙硝作り、1階が生活の場、上階が養蚕の場として使われました。生活の場の中心には囲炉裏があり、煮炊きや暖をとるために使われます。そしてその火が、毎日屋根や柱をいぶして、家の構造を乾燥強化します。また、急勾配の屋根は、雪が滑り落ちやすいだけでなく、広い面積で太陽の熱をとらえて雪を溶かします。さらに、屋根は丸太を組んで木の蔓で縛っているだけの構造であり、大風や地震による揺れを逃がすことができます。



ところで豪雪地帯にある白川郷では、毎年春になると、傷んだ屋根の一部を補修する作業が行われます。大規模な葺き替えは30-50年に一度とされていますが、最も傷みやすい屋根の結合部分の棟茅替えや、一部分だけ補修する差茅作業は、春になると適宜行われます。和田家の板蔵は、屋根の補修用の茅の保存や農具の保管の場として、現在も使用されています。
関連記事
テーマ: 歴史・文化にふれる旅 | ジャンル: 旅行
Japanese Lacquer Ware 漆器 | Home | Getting around Shirakawa-go Village 白川郷の巡り方

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。